Global Accessibility Awareness Day(GAAD) にあわせて2018年5月17日に神戸で開催された「アクセシビリティの祭典 2018 」に参加してきました。9:30から19:00ころまで、まる一日、アクセシビリティについて考えてきました。
開催に関わる方々の熱意がひしひしと伝わってくるとても良いイベントで、東京から足を伸ばして参加して本当に良かったです。アクセシビリティを身近に感じさせてくれる工夫というか雰囲気づくりが上手で、僕も知的刺激をたくさんもらって心と頭をお腹いっぱいにして帰ってきましたw
ちなみに、「アクセシビリティおじさん」 こと木達さんが、当日のつぶやきのまとめ や登壇者のスライドや参加者のブログ記事へのリンクをまとめ てくれています。そちらも参照されると当日の内容や雰囲気を読み取れると思います。
ということで、合計9つ(!)のセッション、6つのライトニングトーク、それからスペシャルトークを聞いて、特に印象に残ったこと、それから、このイベントをきっかけに考えたことを書き残しておきます。
長文、ポエム、駄文などの混じった内容ですが、どうぞよろしくお願いいたします(え?)。
目次
以下、ページ内のセクションへのリンクです。
当事者の話はグッとくる
「百聞は一見にしかず」とは本当によく言ったものですね。たとえば、視覚障害のある園さん(セッション2)から「目が見えない人はこうしている」という具体的な話を聞くと「なるほど、そうなのかぁ」と実感するし、障害をものともせず知的好奇心と工夫で前に進んでいる姿を目の当たりにすると「すごい!かっけぇ!」ってなって勇気づけられますね。心から。
さらに、ALS(筋萎縮性側索硬化症)で身体が動かなくなってしまった三保さんが、視線操作でPCを操っているのを間近に見ると「視線操作ってそんな感じで使うんだ。すごいサクサク使ってる!」と感心しつつ、こういうふうに技術に助けられてるんだというのが実感できました(セッション3)。写真や文章だけでは伝わらないことも、すぐそこで見せてもらうと感じ取りやすいですね。
そして、その「技術」にはさまざまな構成要素があって、個人的にはウェブに関わる人間として、自分が出来ることはしっかりやっていきたいと改めて感じました。怠けている場合じゃないな、と。
僕は、この実感して「ハラオチする感じ」がすごく大切だと思っていて、ハラオチして初めて自発的な次の行動に繋がると思うので、いかにハラオチするきっかけや機会を設けるかが大切だと感じています。そういった意味でも、今回参加したアクセシビリティの祭典では、こういったイベントならではの貴重な体験をさせていただきました。本当にありがとうございます。
日本特有の見えない障害者差別
自称(?)主催者の板垣さんがおっしゃってたんですが、彼は車いすで移動する必要があって、1人で海外(たしかスイス?)に行ったとき、周りの人がごく自然に「May I help you?」と言って助けてくれようとしたそうです。それが、すごく自然で印象的だったそうです。
逆に日本だと1人で車いすで出歩く時に、人からじーっと見られることがあって、キモいからなのか、それとも、手伝うべきか迷っているからなのか、コミュニケーションしてくれないからわからない、と。もし後者だったとしたら、もっと気軽に「手伝いましょか?」と、言ってくれればいいのに、と。
海外だとそれが自然になされていて、なぜか、日本ではそれができていない。都会と田舎の差みたいなのもあると思うので、単純に日本全土でそうだとは言いきれませんけど、僕も感覚的には同感です。実は僕がアメリカに住んでいたときも同じように感じたことがあるんですよね。
高校卒業後、アメリカ東海岸のボストンに留学してたんですけど、留学したてのころバスケで膝の十字靭帯を切ってしまったことがあって、一人でめちゃくちゃ痛そうに道を歩いていたら「大丈夫?手伝おうか?救急車呼ぼうか?」と、多くの人から声をかけられたのを今でもはっきりと覚えています。
そして、手術後、松葉杖で出歩くときも、多くの人が僕のためにドアをおさえて待っていてくれたことがとても印象的でした。そして、それもすごく自然だったんですね。ニコッと笑って「どうぞw」的な感じで。「それが当たり前」的な躊躇のない感じがすごく気持ちいいんですね。
あまり日本だからどうのというのは言いたくないですが(これは板垣さんも何度もおっしゃってました)、海外(欧米?)の人は「なんか自然に」そういうことをやってくるんですよね。日本人の奥ゆかしさやシャイなところがその辺を邪魔しているのか。逆に気を使いすぎて障害者の方を邪魔したらいけないと思っているのか。障害者の人たちを、意図してか、意図せずしてか「別」扱いしてしまっている。それが、たぶん気まずい「間」を生み出してしまっていて「差別」になってしまっている。そんな気がします。
日本にもたくさん優しい人がいるのに、なんとなくその辺が「心の差別」になってしまっているというのは寂しいことだなぁと感じました。心のハードルを1つ乗り越えて、もっと気軽にコミュニケーションが取れたら、お互いもっと気持ち良く過ごせるんですかね。その辺は、障害者の方々もそうでない方々も、お互いに心を開く必要があるのかもしれません。
誤解を恐れずに書くなら、「障害者」って、あくまで大多数の他の人と比べると違うというだけの話で、社会はその大多数の他の人たちに合わせて形成されているから「障害者」として扱われているだけなんですよね。ちょっと飛躍した考え方かもしれませんが、人は「違って当然」という考えを基準にしたら、障害者へのそんな「差別」は薄れていくんじゃないかなぁと思うわけです。人は人。普通に違うし、普通に一緒なんですよね。
だから、障害者だろうが、お年寄りだろうが、子供だろうが、外国人だろうが、ゲイだろうが、ストレートだろうが、基本、人として同じように接すればいいんじゃないかな、と。
ということで「目指せ!心のバリアフリー」です。もしかしたら、ここが日本社会の一番の課題なのかもしれません。
やる気と工夫さえあれば技術の進歩が格差をなくす
文章の読み上げ技術や音声・画像認識の技術をはじめ、さまざまな技術が、格段に向上して無料または安価で提供されるようになって、身近な存在になりつつあります。最近では市販のものを組み合わせれば、そういった技術を活用した便利なものが比較的安価に自分で作れるようになっています。
AIや機械学習のような、個人では実現が容易でないものもGoogleやMicrosoftなどの企業がプラットフォームを作ってAPIを公開していて、誰もが利活用できるようにまでなってきています。
やる気と工夫する知恵さえあれば、いままで出来なかったことが比較的容易に実現できるようになっているんですね。
たとえば、セッション5「わたしたちの未来をつくるアクセシビリティ」で板垣さんが紹介していた車椅子用バックモニターは、必要にかられて彼が知り合いと市販品を組み合わせて自作したそうです。
車椅子に乗っていると後ろを振り向くのが大変で真後ろが死角になるそうです。そのため、後ろに段差や障害物があると危険だそうです。
たとえば、エレベーターに乗る時。直進で入って出るときはそのままバックするので、そこに段差があると気付かずに危ないそうです。でも、バックモニターがあれば確認しながら進めて危険を回避できる。市販品を組み合わせれば車椅子での移動をより快適にするツールが比較的安価に作れてしまう。そうやって、さまざまな「バリア」を解消できる、そんな時代なんですね。
やる気と工夫さえあれば社会をよりアクセシブルにできる時代になってきた。そして、多様性を許容できる社会が実現しやすくなってきたということなんですよね。「圧倒的多数」という圧力に負けて不便を強いられてきた「マイノリティ」が、そういう技術によって、より快適に過ごせる社会が実現できる。
いままでは対象となる人の数に対してコストや手間がかかりすぎると言われて拒否されてきたことが、それって「ただの言い訳じゃね?こうすれば簡単に実現できるじゃん」となる日が、すぐそこまで来ているということなんでしょうね。
1人でも多くの人がこれに気がついて、より多くの人が、たった1つでもいいので、今日は昨日より、明日は今日より多くの工夫ができれば、未来は明るいですね。まずは、そこから。
その他にも…
その他にも学んだことや考えさせられたことは沢山あるのですが、長くなってきたのでそろそろこの辺りでおしまいにしようと思います。が、あといくつか手短に。。。
○○障害 ≠ 情報障害
ひと昔前までは障害を持つことイコール情報障害という状況でしたが、技術が進歩した現代ではそうではなくなってきている。やり方さえ覚えれば、情報にアクセス出来るようになってきている。たとえば、前述の視覚障害を持つ園さんは、技術を活用して晴眼者よりも情報に精通している分野がある。余談になりますけど、園さんは家にスマートスピーカーを9台も持っているとか(家が広いから?)。笑
Alexaスキルを駆使したり、カギなしでもドアを開けられるようにしてみたり、障害をもろともせずに工夫を楽しんでいる様子に僕は勇気をもらいました。自分自身、ウェブ制作者として、情報障害を引き起こさないようにアクセシビリティへの対応をしっかりしていかないとなぁと思いました。
技術や人の思いが命を救う
ALSという病気はひどくなると自分で呼吸ができなくなるそうです。呼吸器を使えば生きていくことはできるのですが、周りと意思疎通ができないのであれば生きていてもしょうがないと命をあきらめる方もいるとか。
でも、視線操作という技術を使って意思疎通を可能にすることで、そういった方が命を諦めずにすむ。思いとどまることが出来る。
視線操作のような技術があり、そして、その存在を広めて、必要とする方のもとに届ける人の努力がある。
僕がウェブ制作者として関わっていけるとすれば、その情報の流れを留めないようにすることでしょうか?アクセシブルなサイト制作が巡り巡って人の命を救うというのも、けっして大げさな話ではないと思います。
ユーザにとって使いやすいことのほうが大切
ガイドラインへの準拠が大切じゃないわけじゃないけど、やっぱり、実際にユーザにテストしてもらって使いやすくなかったら意味ないですよね、という話。たしかにそのとおりですよね。
あと、これに関していうとテストの手法も工夫していかないとハードルか高いなぁと思いました。そもそもユーザテストってコストと手間がかかるイメージがあるから、障害者の方々にテストしてもらうとなると、一層ハードルが上がる気がします。そこは工夫をして、もっと手軽なオプションを作っていかないといけないんだろうなぁと思いました。
実際のユーザに近い方にテストしてもらうのがいいのはわかりますけど。たとえばWebアクセシビリティに関して言うと、障害者の方がどのようにウェブで情報を収集しているのか、ブラウザをどのように使っているのかなど、そういう情報が共有されていて身近になると良いなと思いました。
たとえば、LT6「インクルーシブなペルソナ拡張」で登壇された土屋さん(@caztcha )が作られたペルソナ拡張 は、さまざまな障害を持つ方がウェブを利用するときにどのような障壁があり、どうやってそれらの障壁を解決すべきかを学ぶのにありがたい資料です。
さいごに
他にもまだまだたくさん学ばせていただいたこと、考えたことがあるのですが、かなり長くなったのでこの辺で終わりにしておきます。残りは、後日ゆっくり頭の中で消化していこうと思います。
今回、「アクセシビリティの祭典 2018」に参加して、今後の自分の活動へのヒントも沢山もらいました。まだ具体化はされていないですけど、頭の中で地殻変動が始まった気がしています。
開催に関わったすべての方々に心から感謝します。日本のアクセシビリティを支えているのはこういう方々なんだなぁと実感しました。そして、こういった素晴らしいイベントに僕らが無料で参加できるように支援しているスポンサー企業にも感謝です。やっぱり、お金がないと出来ないこともたくさんあるから。スポンサー企業に働きかけている方々、そして、それに賛同して決済を出している上司とか経営層にも感謝しないとなぁと思います。
ありがとうございました!
2018年5月21日に公開された記事です。
About the author
「明日のウェブ制作に役立つアイディア」をテーマにこのブログを書いています。アメリカの大学を卒業後、ボストン近郊のウェブ制作会社に勤務。帰国後、東京のウェブ制作会社に勤務した後、ウェブ担当者として日英バイリンガルのサイト運営に携わる。詳しくはこちら。
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