ユーザを中心に考えてデザインすることの難しさ

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最近、UXという言葉の定義について考えているのですが、先日、とある方と少しだけUXについて話をしたときに「皆さん、当然のようにユーザのことを考えて制作してるんですよね」「そりゃ、そうですよねぇ。すごくよく考えてますよね」みたいな会話をしました。

その時、ふと思ったことがあります。それは、実は「ユーザ中心」の考え方は一筋縄にはいかないということです。

「ありがためいわく」を回避するためのUX

「ありがた迷惑」という言葉をご存知でしょうか?最近あまり聞かない言葉なので、若い方だと知らない方も。。。いないですかね?

自分は良かれと思ってやったことでも、実は相手にとっては迷惑な行為だったという、なんとも寂しい出来事です。捉え方によっては、または、はたから見たら微笑ましいなんてこともあるわけですけども。たとえば、ドラマの恋人同士の喧嘩のシーンで「君のためを思って一生懸命やったのに、なんでわかってくれないんだ!」「それは、あなたが勝手に思ってやったことでしょ!」みたいなやり取り、見かけますよね?(え?これも古い?)

彼(サービスの提供側)が恋人のことを真に思って、彼女(ユーザ)のことを中心に思って行動をしているのに、なぜか結果が着いてこない。虚しいですよね。

でも、これって「これは彼女のためなんだ!」と勝手に決めつけずに、なんらかの方法で彼女自身に確認ができていれば悲劇は避けられたかもしれません。

ここで突然UXの話になりますが、UXが推奨しているのは、制作するウェブサイト(またはプロダクトやサービス)が「ありがた迷惑」にならないように、「確認」とか「検証」の部分を大切にしましょうということだと思います。そして、そこがUXとユーザを中心に考えてデザインするUCD(User-centered Design)が繋がる部分だと感じています。

ところが!

この「ユーザ中心」の考え方で、もう一つ難しいことがあります。

「良薬は口に苦し」的なUX?

それは、一見、相手には厳しいと思われることでも、結果的にはそのほうが良いこともあるというところです。「良薬は口に苦し」ということわざにあるように、薬を飲むという体験自体は、その瞬間は苦くて「嫌な体験」で、検証をしても確認をしても、きっとユーザは「嫌な体験」と答えるでしょう。でも、苦い薬ほど良く効いて最終的には身体の調子が良くなるという「良い体験」に変わるわけです。一時的にはユーザ中心で考えられているように見えなかった事柄が、総合的に見ると真にユーザのことを思いやることだったということもあります。

本当の優しさってなんだろう

「本当の優しさ」というのも似ていて、いまその瞬間に相手に喜んでもらうことを選ぶのが本当の優しさなのか、それとも、たとえいまは相手に嫌な思いをさせたとしても、それが相手にとって嬉しくないことでも、相手の将来を思って厳しく接するのが良いのか。本当の優しさとはなんだろうかと悩むときがあります。僕は職場では部下を持つ立場の仕事をさせてもらってますが、なかなか部下を叱ることが難しくてできません。そんなとき自分は部下のことを真に思ってあげられていないから叱れないのかと悩み、落ち込む時があります。

本当はいま優しくしたいけど、ぐっと我慢して厳しく接するオヤジ。どんなに文句を言われても、心を折らずに耐えて信念を貫く。そういったことが必要なときもありますよね。たとえば、スティーブ・ジョブズの素晴らしいところの一つは、そういう難しい選択をしなくてはならない時に、絶妙なバランス感覚をもって対処してきたところだと思います。

少し話がずれてきましたね。でも、UXデザイナーとかそういう人たちに必要なのは、真にユーザのためになることはなにかを掘り下げて考え、バランスのとれた判断をする能力だと思います。本当の優しさを持たないと真のUXデザイナーにはなれない。そう思います。

必要なのはバランス感覚

真剣にユーザのことを考えたら、たとえ文句を言われても、なにかを我慢してもらうことが必要なときもあるかもしれません。

反対に、その「我慢」が製品やサービスの存続にも影響するダメージを与えることもあるかもしれません。そこをどう検証して判断するのか、また、どう対処するのか。この辺のバランス感覚がUXを扱う人には必要だと思うわけです。

いやぁ、深い。。。深いなぁ。終

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